萩原(はぎわら)城

2017年10月31日撮影


◆別名:

お茶屋御殿

 

◆所在:

一宮市萩原町萩原字御茶屋1353−4

 

◆交通:

 

◆歴史:

豊臣秀吉の姉婿である三好吉房が天正年間(1573年~1593年)末期に築いた城館と言われている。

 

吉房は義弟の秀吉に従い、各地を転戦。息子の秀次が秀吉の養子となり、尾張・伊勢を所領とすると、犬山城を与えられているが、関白として京に在住する秀次の代理として清州城で政務を取る事も多かったと言われている。

 

この地に城を築いた経緯は不明だが、清州城犬山城の間は旧織田勢の影響が強かった事を考えると、 この一帯を避けて犬山城から木曽川を使って南下し、本貫地である自分の館(現在のあま市花正)経由で清州城へと移動していた可能性も考えられる。

 

その後、吉房は近江八幡城へと移封されているため、数年間だけ使用されただけで廃城になったと思われるが、江戸時代に入って、尾張徳川家藩主の徳川義直が萩原城跡に鷹狩り用の御殿を建設している。

 

◆現在:

NTT西日本萩原電話交換所の南に御茶屋御殿の看板が立てられているのみである。